Qちゃん引退によせて

(長月三十日)

 女子マラソンの高橋尚子が引退を表明した。言わずと知れたシドニー五輪の金メダリストにして元世界記録保持者だが、アテネには出られず、北京の予選では惨敗、年齢も36歳、やっぱりなと思った人は多いだろう。正直私もその1人だ。

 しかし、学年で1つ年上の彼女の引退は、個人的には色々と感慨深い。

 まず8年前、西暦2000年の秋。シドニー五輪の当時、私は新卒で勤めていた会社を辞めるかどうか迷っていた。仕事は嫌いではなかったが、会社に対しては不満もあり、それ以上に、このまま淡々と歳を重ねていってよいのかという気持ちがあった。

 マラソン競技は早朝。私はその日、赴任地札幌のマンションの部屋で、早起きして中継にかじりついていた。結果は高橋尚子、見事な優勝、日本女子史上初の快挙だった。並みいる強豪を抑えての世界一。とても羨ましく、とても輝いて見えた。

 俺は、このままでいいのか。俺も、世界と勝負がしたい。

 その1ヶ月後、私は会社を辞めた。年明けには27歳になる。かねてより夢として掲げていた自転車世界一周に挑むなら、もう今しかないと思ったのだ。

 季節の関係で旅立ちは翌年5月、アラスカから始めた旅は当初順調だったが、5ヶ国目のグアテマラで落とし穴があった。強盗に襲われ、自転車を奪われた。旅を続ける気概をなくし、次は殺されるのではないかと怯え、南米を諦め、帰国することを考え、どうにかパナマまでやって来た私は、ヨーロッパに逃げることを決めていた。

 そんな落ち込んだ気持ちの矢先、パナマシティのインターネットカフェで、ふと目に飛び込んだ日本語のニュースがあった。

 高橋尚子、ベルリンで世界新記録。

 イタリアで2台目の自転車を購入した私は、徐々に強盗事件の挫折から立ち直り、ヨーロッパから中東、そしてアフリカを目指した。42・195キロというフルマラソンの何十倍もの距離を重ねることで、自分はやっぱり旅が好きだ、自転車で走る旅が好きなんだと、認識することができた。

 私が帰国するのは、さらに1年半以上あとのこと。韓国から日本に渡り、最後は日本列島を走って東京へ。そして、私が東京にゴールするまさにその前日、高橋尚子も東京を走っていた。アテネ五輪の選考、東京マラソンである。まさかの失速で、結局は代表を逃すことになる。彼女の敗北があり、私の旅の終わりがあった。

 あれから5年。その間に高橋尚子が勝ったのはたった1度、それから2年後の東京のみである。

「私が走ることで、みなさんに『やればできるんだ』という勇気を与えることができたら」

 たびたび彼女は、そんな台詞を口にした。復活優勝のときも、そう言っていた。似たようなことは、ほかのスポーツ選手もよく言うことであるが、たいてい私は白けた気持ちで聞いている。「子供に夢を与えたい」とか、「きれいごと言ってかっこつけやがって」と思ってしまうのだ。

 しかし、少なくとも私の場合、なぜか高橋尚子に限っては例外だった。自分の旅の軌跡と不思議に重なる部分があって、心に染みた。

 Qちゃん、私もあなたのファンの1人でした。

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