まめは豆にあらず、だめのことなり

(長月一日)

 長男は最近とかくよく喋るのだが、そのほとんどは、何を言っているのかさっぱり分からない。外国語を聞いているようである。しかし、表情や身振り手振りで、何が言いたいのかはけっこう分かる。これもまた、外国人と話しているのにちょっと近い気がする。

 ときどき、長男が発した言葉の意味が、はたと理解できる瞬間がある。

 たとえば絵本に描かれている絵を指差して、「これわー、これわー」と繰り返すのだが、あるとき「これは何?」と尋ねているのだと分かった。応用編として「あれわー」なときもあれば、単に「わー」しか言わないこともあるが、たぶん同様の意味だ。

 あるいは、これも少し前に解読に成功した言葉に、「まめー」がある。「まめー、まめー」とこれまた繰り返し発される。もちろん「豆」が食べたいという意味ではない。窓を開けて外に出たがるのを止めさせようとするとき、おもちゃで遊んでいたのを止めさせようとしたとき、「まめー!」と叫んで抗議する。これは「ダメ!」という拒否の意味なのだ。

 さらに「うえー」という言葉もよく口にする。階段を上って二階に行くときに、私や妻が「上へ行くよ」と喋るのをまねして覚えたと思われるのだが、二階から一階に降りたがるときも「うえー」と言ったりするので、階段という意味、あるいは「行こう」という意味に取り違えているのかもしれない。

 英語以外の外国語、スペイン語でもアラビア語でも中国語でもなんでもいいのだが、その国を旅行していて、片言を覚え始めたときに、相手がまくし立ててくる現地語の中で、ふっと理解できる単語を発見するときがある。その感覚にちょっぴり似ていると私は思っている(以前妻に話したら、同意してもらえなかったが)。

 しかし逆に考えると、長男にとっては、日本語こそ未知の言語。はじめは何の手がかりもないゼロの状態。それが日々の繰り返しの中で、ふと理解する瞬間があるのだろう。「したいことをさせてもらえない」ことと、「だめ」という言葉が、つながっていることに。そしてさらに、「まめ!」と発して使いこなすまでに、もう一段階大きな壁があるに違いない。

 言葉ってすごい。

 世の中には、強制的に赤ん坊の脳に単語のリズムを刷り込ませようとするような早期教育教材も跋扈しているようだが、げに恐ろしい。一つ一つ言葉の意味を自力で発見していく。親や、周りの人との、遅々とした会話のやり取りの中で覚えていく。それは単に、喋れるとか、聞き取れる以上の、大きな意味があるように思う。
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