ペットボトル禁止の空中都市
(閏皐月十一日)
インカ帝国の隠れ都市(?)ともいわれるペルーのマチュピチュ遺跡が、8月からペットボトルの持ちこみ禁止になるらしい。環境保護がその理由といわれるが、これは投げ捨てるやつが多いということだろうか?
マチュピチュは規模の大きな遺跡であり、すぐそばのワイナピチュ(ここからのマチュピチュの眺めは素晴らしい)に登ろうと思えばちょっとした登山になる。当然、まともに見て回ろうと思ったら水分の補給は不可欠だ。しかし、今回の措置は、売店でのペットボトル飲料販売も禁止になるというより踏み込んだもののようだ。
では、そうすればいいか。水筒を持ってこいという話のようだが、旅行者の立場からすると、これはけっこう億劫なことだ。街歩きをするにも、遺跡観光をするにも、バスや電車の長距離移動のお供にも、ペットボトルというのは軽くて安くてとても重宝する水筒になる。
私などは自転車旅行中、1.5リットルや2リットルの大きなペットボトルを常に複数常備していた。さすがに使い込んでボロボロになったら、新しいジュースないし水を買うということをしていた。この作戦がマチュピチュに限って使えないということになると、どうしたらよいのだろう。ペットボトルだけがダメで、実は缶飲料はたくさん売っていたりするのだろうか?
ひょっとして、マチュピチュはいまも古代の水路が生きていて、遺跡内を水が流れている。これを飲め! ということだろうか。
実に名案だ。
しかし、問題発見。みんなが飲んで、水路が涸れてしまっては一大事。
むしろゴミ捨て厳禁(当たり前)で、罰金制かつ強制退去にしたらいいのではないだろうか。日ごとの入場制限も行われるようになったと聞くし、色々厳しくなるのは仕方ないことだけど、ペットボトル禁止はちょっと不便だな〜と思う。
ま、当面マチュピチュを再訪する予定はないけど。
インカ帝国の隠れ都市(?)ともいわれるペルーのマチュピチュ遺跡が、8月からペットボトルの持ちこみ禁止になるらしい。環境保護がその理由といわれるが、これは投げ捨てるやつが多いということだろうか?
マチュピチュは規模の大きな遺跡であり、すぐそばのワイナピチュ(ここからのマチュピチュの眺めは素晴らしい)に登ろうと思えばちょっとした登山になる。当然、まともに見て回ろうと思ったら水分の補給は不可欠だ。しかし、今回の措置は、売店でのペットボトル飲料販売も禁止になるというより踏み込んだもののようだ。
では、そうすればいいか。水筒を持ってこいという話のようだが、旅行者の立場からすると、これはけっこう億劫なことだ。街歩きをするにも、遺跡観光をするにも、バスや電車の長距離移動のお供にも、ペットボトルというのは軽くて安くてとても重宝する水筒になる。
私などは自転車旅行中、1.5リットルや2リットルの大きなペットボトルを常に複数常備していた。さすがに使い込んでボロボロになったら、新しいジュースないし水を買うということをしていた。この作戦がマチュピチュに限って使えないということになると、どうしたらよいのだろう。ペットボトルだけがダメで、実は缶飲料はたくさん売っていたりするのだろうか?
ひょっとして、マチュピチュはいまも古代の水路が生きていて、遺跡内を水が流れている。これを飲め! ということだろうか。
実に名案だ。
しかし、問題発見。みんなが飲んで、水路が涸れてしまっては一大事。
むしろゴミ捨て厳禁(当たり前)で、罰金制かつ強制退去にしたらいいのではないだろうか。日ごとの入場制限も行われるようになったと聞くし、色々厳しくなるのは仕方ないことだけど、ペットボトル禁止はちょっと不便だな〜と思う。
ま、当面マチュピチュを再訪する予定はないけど。
うちわの明日
(閏皐月一日)
何でも欲しがる長男に、最近は「明日な」と言って逃げることが多い。おいしい果物がもっと食べたい場合や、おもちゃでもっと遊びたい場合に、「明日だ」と言い聞かせるのだ。
果たして2歳児に、寝て起きたら「明日」になるという時間的な概念がどのくらいあるのか不明だが、ともあれ逃げ口上として「明日」はわりと便利だ。
さて。そんなやりとりをしながら、長男を寝床へといざなうのだが、今夜は蒸し蒸しして少々寝苦しい。
と、長男は、数日前の夜に使ったうちわを、すっかり気に入っていたようで、うちわが置いてある場所まで行って、「これ」とのたまった。「うちわ」という言葉は覚えていないくせに、効能はしっかりと覚えているのだ。置き場まで覚えていたことに、正直ちょっと驚かされた。
少しパタパタやってやると、「寒いからね〜」とややピントのずれた日本語で喜びを語る。まあ、涼しくて気持ちがいいのだろう。それは、分かる。
しかし、ずっと扇いでやるのも疲れるので、そのうち面倒になって、こちらは手を動かすのをやめる。すると彼は不満げに言う。
「もっと」
自分は布団に寝そべったまま、自分の手をパタパタ動かして、「扇ぎたまえ」と言ってのけるのだ。扇ぐのをやめると怒るのだ。
殿様みたいなその態度にカチンと来て、「お前、いつからそんなに偉くなった」と問い詰めると、ニコニコ笑いながら、ひと言。
「明日から!」
何でも欲しがる長男に、最近は「明日な」と言って逃げることが多い。おいしい果物がもっと食べたい場合や、おもちゃでもっと遊びたい場合に、「明日だ」と言い聞かせるのだ。
果たして2歳児に、寝て起きたら「明日」になるという時間的な概念がどのくらいあるのか不明だが、ともあれ逃げ口上として「明日」はわりと便利だ。
さて。そんなやりとりをしながら、長男を寝床へといざなうのだが、今夜は蒸し蒸しして少々寝苦しい。
と、長男は、数日前の夜に使ったうちわを、すっかり気に入っていたようで、うちわが置いてある場所まで行って、「これ」とのたまった。「うちわ」という言葉は覚えていないくせに、効能はしっかりと覚えているのだ。置き場まで覚えていたことに、正直ちょっと驚かされた。
少しパタパタやってやると、「寒いからね〜」とややピントのずれた日本語で喜びを語る。まあ、涼しくて気持ちがいいのだろう。それは、分かる。
しかし、ずっと扇いでやるのも疲れるので、そのうち面倒になって、こちらは手を動かすのをやめる。すると彼は不満げに言う。
「もっと」
自分は布団に寝そべったまま、自分の手をパタパタ動かして、「扇ぎたまえ」と言ってのけるのだ。扇ぐのをやめると怒るのだ。
殿様みたいなその態度にカチンと来て、「お前、いつからそんなに偉くなった」と問い詰めると、ニコニコ笑いながら、ひと言。
「明日から!」
来週から車〜2+0の大冒険(その7)
(皐月二十六日)
出雲崎から日本海に沿って走る。道沿いには季節営業の海の家や民宿などがちらほらと並び、夏は海水浴客で賑わうのだと分かる。
十五分くらい走っただろうか、車は寺泊に到着した。市街に入り、車が増えて渋滞となる。「魚のアメ横」と呼ばれる魚市場や食堂が集まった界隈があるという事前情報だったが、いったいどこにあるのだろうとハンドルを握りながらキョロキョロしていると、前方にそれらしき看板の並ぶのが見えた。手前向かい側にだだっぴろい駐車場もあった。食事時、ほぼ満車になっていたが、運良く出ていく車を見つけ、そこに停めることができた。
「魚のアメ横」は、どこか奥まったところにあるだろうと思っていたのだが、そうではなく国道に面して、一列に店が並んでいた。近隣の港で水揚げされた様々な海産物が発泡スチロールの箱に入れて売られている。買ったばかりの箱を抱えて歩いている客も多い。

どの店もたいてい二階が食堂になっているようで、どの店も同じように行列して混んでいた。子連れで行列に並ぶのは大変なのだが、ほかにも小さな子供を連れた家族はけっこういた。長男も食べられるようにと焼魚の定食と、刺身の定食をたのむ。「値段の割には……」と妻はあとで少しぼやいていたが、舌の安い私には充分美味しかった。まあ、多少観光料金もあるのかもしれない。
食後、市場をひと回り。非常に活気があり、日本は魚文化の国であることを感じる。焼き鳥のように、イカやサザエやつぶ貝などを串焼きにして売っている屋台がいくつも出ていたが、こういうB級グルメが案外うまい(長男的にはまずかったようであまり食べてくれなかったが)。
以上で、今回の旅程はほぼ終了。佐渡が一望できる弥彦山スカイラインを経由したが、子供が二人とも爆睡していたため、交替でお手洗いを済ませただけで下山。そのまま最寄りのインターチェンジを目指し、帰宅の途につくことになった。
ちなみに恐れていた帰りの大渋滞。行きの混み具合から推定しても、いつ始まるか、何キロ続くか、家に着くのが何時になるのか、どきどきしていたのだが、信越道との合流前後で多少渋滞していたものの、その距離は肩透かしを食らうほどに、ちょびっとであった。
翌日、おおむねご機嫌の2歳の長男に対し、0歳の長女は極めて不機嫌で一日中激しく泣き喚いていた。2歳児はすでに非日常の刺激を多いに楽むことができるけど、0歳児には負担が大きかった模様。ちょっぴり申し訳なかったなと思った旅の終わりであった。
出雲崎から日本海に沿って走る。道沿いには季節営業の海の家や民宿などがちらほらと並び、夏は海水浴客で賑わうのだと分かる。
十五分くらい走っただろうか、車は寺泊に到着した。市街に入り、車が増えて渋滞となる。「魚のアメ横」と呼ばれる魚市場や食堂が集まった界隈があるという事前情報だったが、いったいどこにあるのだろうとハンドルを握りながらキョロキョロしていると、前方にそれらしき看板の並ぶのが見えた。手前向かい側にだだっぴろい駐車場もあった。食事時、ほぼ満車になっていたが、運良く出ていく車を見つけ、そこに停めることができた。
「魚のアメ横」は、どこか奥まったところにあるだろうと思っていたのだが、そうではなく国道に面して、一列に店が並んでいた。近隣の港で水揚げされた様々な海産物が発泡スチロールの箱に入れて売られている。買ったばかりの箱を抱えて歩いている客も多い。

どの店もたいてい二階が食堂になっているようで、どの店も同じように行列して混んでいた。子連れで行列に並ぶのは大変なのだが、ほかにも小さな子供を連れた家族はけっこういた。長男も食べられるようにと焼魚の定食と、刺身の定食をたのむ。「値段の割には……」と妻はあとで少しぼやいていたが、舌の安い私には充分美味しかった。まあ、多少観光料金もあるのかもしれない。
食後、市場をひと回り。非常に活気があり、日本は魚文化の国であることを感じる。焼き鳥のように、イカやサザエやつぶ貝などを串焼きにして売っている屋台がいくつも出ていたが、こういうB級グルメが案外うまい(長男的にはまずかったようであまり食べてくれなかったが)。
以上で、今回の旅程はほぼ終了。佐渡が一望できる弥彦山スカイラインを経由したが、子供が二人とも爆睡していたため、交替でお手洗いを済ませただけで下山。そのまま最寄りのインターチェンジを目指し、帰宅の途につくことになった。
ちなみに恐れていた帰りの大渋滞。行きの混み具合から推定しても、いつ始まるか、何キロ続くか、家に着くのが何時になるのか、どきどきしていたのだが、信越道との合流前後で多少渋滞していたものの、その距離は肩透かしを食らうほどに、ちょびっとであった。
翌日、おおむねご機嫌の2歳の長男に対し、0歳の長女は極めて不機嫌で一日中激しく泣き喚いていた。2歳児はすでに非日常の刺激を多いに楽むことができるけど、0歳児には負担が大きかった模様。ちょっぴり申し訳なかったなと思った旅の終わりであった。
来週から車〜2+0の大冒険(その6)
(皐月二十四日)
最終日3日目、この日は日本海側を走って、関越道から帰るという予定。まずは最寄りの妙高ICから、北陸道の西山ICまで高速を使い(ここも休日1000円の恩恵で半額くらいになる)、出雲崎へ向かう。出雲崎は江戸時代、佐渡からの金が荷揚げされる港として天領地とされていた。当時の妻入りの街並みが残されているという話で、面白そうだなと思ったのだ。
日本海を見渡す国道352号に道の駅があり、駐車場はほぼ満車、なんとか停めることができた。出雲崎はほかに、日本の石油探索発祥の地であったり、芭蕉や良寛ゆかりの地であったり、果ては演歌歌手ジェロの歌の舞台であったりと、色々と細かな観光要素があるらしい。
といって大半の人が楽しんでいたのは、海の景色だ。日本海にせり出すように観光桟橋が造られており、その先端まで歩いていくと、欄干およびその支柱に無数の鎖が括りつけられている。ハート型の錠前が付けられ、男女2人の名前やメッセージが記されていたりして、どうやらここは恋愛成就(祈願)の地として、人気があるようなのだ。実際、私たちが訪れた午前中に来ているのは家族連ればかりであったが、普段の日、夕暮れ時にでもなればたぶんカップルで賑わうのだろう。

一方、国道から一本山側に入った道が妻入りの街並み。なるほどたしかにしっとりと古めかしい家が軒を連ねていて雰囲気があるが、200メートルほど先にENEOSの巨大なオレンジ色の看板が目立っていて、ちょっと残念。
道の駅や海岸沿いの大賑わいとは裏腹に、歩いている観光客もほとんどいなかった。高田の雁木造りもそうだったが、こういう昔の街並みというやつは、存外日本の各地に細々と残っていて(たいていは古い建物の間に新しいビルが建ったりと虫食いの中途半端になって)、それだけで人を惹きつけるのは難しいのだろう。
そうしているうちに腹を空かせた長男が、「ごはん」と言い出す。今少し待て。今日の昼飯場所は決めてある。
最終日3日目、この日は日本海側を走って、関越道から帰るという予定。まずは最寄りの妙高ICから、北陸道の西山ICまで高速を使い(ここも休日1000円の恩恵で半額くらいになる)、出雲崎へ向かう。出雲崎は江戸時代、佐渡からの金が荷揚げされる港として天領地とされていた。当時の妻入りの街並みが残されているという話で、面白そうだなと思ったのだ。
日本海を見渡す国道352号に道の駅があり、駐車場はほぼ満車、なんとか停めることができた。出雲崎はほかに、日本の石油探索発祥の地であったり、芭蕉や良寛ゆかりの地であったり、果ては演歌歌手ジェロの歌の舞台であったりと、色々と細かな観光要素があるらしい。
といって大半の人が楽しんでいたのは、海の景色だ。日本海にせり出すように観光桟橋が造られており、その先端まで歩いていくと、欄干およびその支柱に無数の鎖が括りつけられている。ハート型の錠前が付けられ、男女2人の名前やメッセージが記されていたりして、どうやらここは恋愛成就(祈願)の地として、人気があるようなのだ。実際、私たちが訪れた午前中に来ているのは家族連ればかりであったが、普段の日、夕暮れ時にでもなればたぶんカップルで賑わうのだろう。

一方、国道から一本山側に入った道が妻入りの街並み。なるほどたしかにしっとりと古めかしい家が軒を連ねていて雰囲気があるが、200メートルほど先にENEOSの巨大なオレンジ色の看板が目立っていて、ちょっと残念。
道の駅や海岸沿いの大賑わいとは裏腹に、歩いている観光客もほとんどいなかった。高田の雁木造りもそうだったが、こういう昔の街並みというやつは、存外日本の各地に細々と残っていて(たいていは古い建物の間に新しいビルが建ったりと虫食いの中途半端になって)、それだけで人を惹きつけるのは難しいのだろう。
そうしているうちに腹を空かせた長男が、「ごはん」と言い出す。今少し待て。今日の昼飯場所は決めてある。
二度と引き返せない国境のようなもの
(皐月二十一日)
今日、旅の仲間であり、夫婦共通の知人でもある人が、亡くなったという知らせを聞きました。
人はいつか必ず死にます。
現代の日本は、生まれるのも病院なら、死ぬのも病院。生や死が日常生活から隔離されてしまい、命の重さを感じる機会が、とても少なくなっています。
とある国で、人が焼かれているのを見て、燃え尽きるのにとてもとても長い時間がかかるのを見て、何とも言えない衝撃を受けたことがありました。電子竈なら、十数分でしょうか。
旅行中、人が殺された話や、命を落とした話は、いくつもいくつも聞きましたが、実際に面識がある人が殺されたということが、一回だけありました。
内戦を終えたばかりの国や、私が訪れたあとに戦争が起こってしまった国は、いくつもあります。日本にいると、誰かの死は、新聞やテレビの上での話であることが多いですが、国によっては、死というものが、もっともっと身近にありました。「あの人」は今生きているのだろうか、と思う「あの人」が何人もいます。
人が死んだらどこへ行くのか。どんなに文明が進んでも、いまだ誰にも分かりません。宗教や哲学の領域です。
人生は旅である、とよくいいますが、旅の終着駅が死なのか、それとも単なる通過点に過ぎないのか、それも本当のところはよく分かりません。二度と引き返せない国境のようなもので、入国審査を受けたあとも、旅はずっと続いているのかもしれません。
合掌。
今日、旅の仲間であり、夫婦共通の知人でもある人が、亡くなったという知らせを聞きました。
人はいつか必ず死にます。
現代の日本は、生まれるのも病院なら、死ぬのも病院。生や死が日常生活から隔離されてしまい、命の重さを感じる機会が、とても少なくなっています。
とある国で、人が焼かれているのを見て、燃え尽きるのにとてもとても長い時間がかかるのを見て、何とも言えない衝撃を受けたことがありました。電子竈なら、十数分でしょうか。
旅行中、人が殺された話や、命を落とした話は、いくつもいくつも聞きましたが、実際に面識がある人が殺されたということが、一回だけありました。
内戦を終えたばかりの国や、私が訪れたあとに戦争が起こってしまった国は、いくつもあります。日本にいると、誰かの死は、新聞やテレビの上での話であることが多いですが、国によっては、死というものが、もっともっと身近にありました。「あの人」は今生きているのだろうか、と思う「あの人」が何人もいます。
人が死んだらどこへ行くのか。どんなに文明が進んでも、いまだ誰にも分かりません。宗教や哲学の領域です。
人生は旅である、とよくいいますが、旅の終着駅が死なのか、それとも単なる通過点に過ぎないのか、それも本当のところはよく分かりません。二度と引き返せない国境のようなもので、入国審査を受けたあとも、旅はずっと続いているのかもしれません。
合掌。






